人生が激変する逆説/手放すだけでうまくいく理由と、“どっちもいい”の法則

ライトワークへの道

“どっちもいい”より“どっちかじゃなきゃダメ”な現代

「好きなことで生きよう!」
「人生を楽しく生きよう!」
「ワクワクすることをしよう!」

そんな言葉に魅かれながらも
胸の奥底ではどこか息苦しさを感じる…

そんな感覚はありませんか?


その息苦しさの正体、
実は”どっちかじゃなきゃダメ”という思い込みかもしれません。


わたしたちは心地いい言葉や耳障りの言い言葉を聞くと
「あ…これは正解だ。正しいんだ。」とつい
感じてしまいがちです。

そして、その答えを求めて純粋に頑張ってしまう。

本当はこころは苦しいと感じているのに、その感覚でさえ
「不正解なのは自分だ。だからこんなに苦しいんだ。」
と、“自分が間違っているから”にしてしまう。




今回はそんなあなたへ、ちょっと不思議で新しい

“どっちもいい”の法則


これをご紹介しますね(^^



“どっちでもいい”という投げやりやあきらめのエネルギーではなく
“どっちもいい”という受け入れるスタンスで自分の可能性をひらいていく。

そんな在り方のお話です。


これをあなたの人生に取り入れることで

あなたの選択肢が増え行動範囲がグッと拡がり
視野が広がって世界の見え方が変わり、

これまで気にしていたこと、悩んでいたこと、苦しんでいたこと
これらが一気に解消されていきます。


そうすることでエネルギーはどんどん温存されて、使いたいことに注げるようになり
そこを出発点に、あなたの能力はどんどん発揮されていくでしょう(^^)

たった一つの答えを探して…百点満点をもらうための生き方

わたしたちは「正解はただひとつだよ」と教えられてきました。

それは、もしかしたらはじめは、
“迷わないように、悩まないようにするため”
だったのかもしれません。

でもそれは、何か限定的な問いに対しての答えが必要なときだけ。


生き方や考え方はたくさんあるのに、それにさえ百点満点
つまり正解、正しさを見つけなきゃいけない。
そうしないと✖がついて“あなたはできていない。失敗だよ!”
と評価されてしまう。


不正解=失敗。


“どっちかじゃなきゃダメ”というこの思考の偏りは
見えるものを狭くして
選択肢(行動)を狭め
わたしたちの自由度を奪ってしまいます。


でも、ちょっとだけ立ち止まって考えてみてください。


答えは本当にたったひとつしかないのでしょうか?
“どっちかじゃなきゃダメ”なのでしょうか?

“正しさ”で生きていた頃。怒りが全てを破壊していった過去


わたしもかつては“どっちか”で生きていました。


整体師として人のこころとからだを整える仕事をしていた頃です。

持っていた皮膚の弱さや体調の崩しやすさ。
今思えばそれは、本当にからだが弱かったというより、
ある人間関係の中で“そうである必要があった”のかもしれません。

(このあたりの話は、根が深すぎるのでまた別の記事でゆっくり紐解いていきますね)

それを克服した経験からか、“健康”に対してものすごく執着がありました。


「自分が良くなったのだからみんなもこうすれば良くなるし、
それが結果的にその人の周囲も幸せになるし
日本の医療費問題も解決する!!」

この考え方は絶対に間違っていない!!


本気でそう思っていたし、
“そうじゃなきゃダメ”と思っていました。


でも、その考えを理解はしても
受け入れてくれる人は誰もいませんでした。

わたしはそんな人たちに怒りを覚えました。

「なんでこんなに正しいことを言ってるのに実行しないの!?
なんで分かってくれないの!?!?」


思えば、その頃はいつもイライラ、ピリピリしていました。

当時結婚していましたが、その怒りは旦那へも向くことになり
結局は離婚することに。


“正しさ”という怒りを自分の周りにぶつけたことで
たくさんの人を自ら遠ざけていきました。

でも、それでも
当時のわたしは気づくことができませんでした。

「間違っているのはわたしじゃない!」

からだを怒りで震わせながら、こころの中でずっとそう叫んでいました。

“ひとり”の静けさで気づいた”どっちか思考”

ひとりになったときは不思議と
肩の荷が下りた感じでした。

正しさを振りかざしてずっと戦っていたわたし。
「もう戦わなくていい」と安堵したのだと思います。


だんだんとこころの落ち着きを取り戻し始めた頃、
ふと考えました。

「なんでこうなってしまったんだろう…?」


そこから“こころの探求”が始まりました。

“ひとり”という時間の中で、ひたすら自分と向き合い続けました。

それはまるで
北極の大地にある、壁のように大きく固まり切った氷を溶かしていくような作業。

そんな風に時間をかけ、
丁寧に丁寧に自分のこころをあたため、溶かしていきました。


そうして見えてきたのが“どっちかじゃなきゃダメ”という考え方。
正解、正しさを求めてしまうクセでした。

それにハッと気づき、目が覚めました。


正解や正しさの罠。
他人を支配しコントロールしようとする抑圧のエネルギー。


でもそのエネルギーは結局
自分自身を苦しめてしまっていたのです。

“なにも無いところには、全てが在った”/反転ワーク

“どっちかじゃなきゃダメ”

これを手放すために、わたしはあるワークをやっていました。

ちょっと勇気のいるかもしれないことだけど
効果は抜群なので紹介しますね!


【反対側を受け入れる練習“真逆のことをやってみる”ワーク】

内容はそのまんまです。
わたしが当時に実際にやったことは

・健康が正解!→不健康な生活をしてみる(夜更かしに真夜中のラーメン!)
・わたしは男っぽいから男性とうまくいかない!→キャバ嬢をやってみる

(ふたつ目は知り合いが水商売をしていたのでチャレンジしやすかったからできたのですが、
それがなかったらできなかったかもしれないことは正直に言っておきますw)


はじめはものすごく抵抗がありました。
だって受け入れたくないことですから!
エネルギー、ものすごく使いました…

(このワークをやってからは目が軽くなって
世界も明るく見えるようになった感じがしました!)


でもそんなことよりも、
どうしてもわたしはわたしを助けたかった

それほど当時は苦しんでいたんです。


これを実践してみて段々わかってきたことは

これまで自分が“正解、正しさ”と強く主張していたこと、
こだわっていたこと、執着していたことは

自分が思っていたよりも、大したことじゃなかったな

という感覚でした。
反対側を体感することでこころもからだも軽くなって、
より一層エネルギッシュになりました。


それに気づいてからは
他の、自分が持つ“どっちかじゃなきゃダメ”を一気に洗い出しして
ひとつひとつ、丁寧に、その反対側を許していきました。

そうすると、今まで見えてこなかったこと、
知り得なかった概念、在り方
その反対側から見る景色が見えてきます。


そうやって見える世界を広くしていくこと。
その視点が“どっちもいい”を自分に許可できるのです。

正しさへの執着から解放され
いつしかその状態がわたしの中での当たり前になったときに
気づいたことがあります。


それは

「なにも無いところには全てが在る」 


正解、正しさを手放し、間違い、失敗を受け入れたことで見えた世界。

そこには“どっちも無い”
つまり“どっちも在る”

という逆説にして極論でした。


許すという事は『知ること』と同じです。
反対の立場、反対の意見、反対の考え方を知る。

人は知ることで安心し、こころが軽くなることで、
はじめて許すことができるようになるのです。

“どっちもいい”の日常使い


「絶対にこっちの方がいい!!(こっちじゃないとダメ!)」
「もうそんなのどっちでもいいよ…(めんどくさい、どうでもいい)」

そんな時
たいていこころが重くなりませんか?

過去のわたしのようにイライラしたり
もう、どうにでもなれ!とあきらめて投げやりになったり。

それは自分の選べる選択肢がなくなってしまい
“もう自分にはこれしかない(選べない)!”と限界を感じた時なんです。


ここで突然ですが…
わたしは登山が好きで、

山の話を友人としていた時にちょうど
「それ“どっちもいい”よね!」
となった瞬間がありました。


富士山は山頂からの景色が最高に美しい。
だからほとんどの人たちは山頂だけを目指して登っていきます。

でも登っていく途中の景色は単色、単調。
ずっと続く灰色の地面に、眺めは雲で真っ白。
登山者も多く、安全に登れるように一列に並んで進みます。
なんか…山頂以外はつまらなそうですよね(笑)

一方、

男体山(栃木県日光市)は登っていくまでがとにかく楽しめる。
自然の景色はもちろんのこと、
(季節によってはヒカリゴケなんかもありますよ!)

土に木の根っこが絡み合ったゴツゴツした道に、 
石の階段をもっと複雑にしたような足場に迷う道。
かと思えば、ロッククライミングみたいな自分よりも大きな岩が目の前に現れたり。
でも山頂に近づくにつれ、急に景色は灰色と真っ白な世界になる。
「寒いしもう降りよう…」ってなります(笑)


この真逆のふたつの山。
わたしはこう思いました。

「えっ?“どっちもいい”じゃない♪(でもどっちにもイヤなところがあるね!)」


こんな風に

どっちもいい”ところがあって、
実はそこには“どっちもイヤ”なところが必ずある。


これは全ての物事に通じること。


わたしはこれを“どっちもいい”の法則と名付けて
日常の中で無意識にインプットしてしまう“どっちか”思考を手放す術として
今でも使ってます。

“どっちもいい”は受け入れのようにみえて、でも実は手放すこと。

わたしたちは毎日、何かしらの選択をして
その選択の結果を受け取って過ごしています。


ひとつのことに捉われて苦しいとき
選択肢がなくて投げやりになったり、あきらめそうなとき

そういう時はたいてい自分の思い通りになっていない時です。


わたしたちが何かに捉われたり執着しているときは
視野も考え方も狭くなってしまいます。
しかも、その狭い中から答えを探そうとしてしまいます。

求めている答えが、もしかしたら
捉われていること、執着していること以外にあるかもしれないのに…。


“どっちもいい”の法則は、この捉われや執着の状態を緩め、
受け入れられるようにしてくれる方法のひとつです。

捉われ、執着してしまってる状態すらも
“(どっちも)いい”と受け入れられる。

だからこそ、同時に捉われや執着を手放すことができるのです。


そうしてはじめて
“なにも無いところには、全て在る”というエネルギーが発動し、
手にすることができるのです。

手放した人からうまくいく“どっちもいい”の法則

いかがでしたか?

“どっちもいい”の法則

まとめると
『受け入れることは手放すこと、手放すことは受け入れること』

要は現実という鏡に向かって放り投げると(手放す)
自分の方に向かってくるよ(手に入る)

ということです。


そして、この在り方の生きていく上での最大の強みは

“どんな人生でも大丈夫!オッケー♪”

で生きられること。


だから例えば

好きなことで生きられなくても
人生を楽しく生きられなくても
ワクワクすることができなくても

“どんな選択でも、どんな結果でも大丈夫!オッケー♪”

どんな自分にもマルが出せるようになって
自然といろんなチャレンジができるようになるんです(^^)


この“どっちもいい”の法則
何かの選択をするときは、一度立ち止まって、その“反対側”も見てみてください。



◆「ありのままの自分って実は“どっちもいい”を選べてる状態です」「併せて読むとさらに納得!」→ありのままの自分の記事を添付する。◆

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